2021.02.01 歴史・文化

福王神社

福王神社

敏達天皇(572~585年)の時代に百済の仏師安阿弥が刻んだ毘沙門天を、後に聖徳太子が福王山に安置したことが創建の由来とされています。境内には樹齢1000年をこえるといわれる杉ああり、また古くから天狗伝説が語り継がれています。

 

イベント

2月には節分祭があり4月は春の大祭、夏は写生大会、10月は秋の大祭、年末年始は除夜祭と元旦祭が行われます。

 

【歴史】

福王神社- 大字田口 –  国道306号線田口集落より西へ約2km、福王山の山麓、杉の巨木が亭々と空にそびえる森厳の中に神社はある。祭神は徳福の神毘沙門天 を祀っている。社伝によれば、敏達天皇6年百済より経文、僧、仏工を献上の折、来朝した仏師安阿弥が勅を受けて毘沙門天を刻んだとい う。後に聖徳太子の命により福王山にその毘沙門天を安置し、国の鎮護と伊勢神宮の守りとしたと伝える。毘沙門天は一名多聞天とも言う。
インド古代神話中のクビラのことであるといわれ、護法神の一つで四 天王ないし十二天のうち、北方の守護神である。独立して福徳富貴の 神としても尊崇され、後世七福神の一ともなる。福王の毘沙門堂は元桑名京町の北側、職人町にあったものを慶長年間、桑名が町割りのとき、ここへ移したものと云われている。福王山はまた、天狗信仰にまつわる伝説の多いところで、頂上はかなり広い平坦なところがあって、里人はそこを「天狗の踊り小場」と 呼んでいる。昔、堂付近を通ると天狗が危害を加えるといって恐れたため、桑名藩主松平定綱はこれを憂い、付近の木を多く伐りはらった ところ、何の障りもなく、その後は木こりも通れる様になったと言う。 この福王山は桑名藩のご用林となり、杉、もみを植林し、藩の山番小屋が設けられ、その跡が長助屋敷として名が残っている。現在は国有 林として営林署の所管になり杉の造林が盛んに行われ、美林となっている。桑名藩ご用林当時は保護されて杉、もみの巨木が福王山一帯にあっ たが度々の山火事によって焼失した。現在、境内に遣っているもので太子杉とよぶ巨杉があり、直径4m位ある。境内入口近くに天狗杉と 呼ぶ大木があったが、枯れて今はない。福王神社の玄関である田口のバス停前には、文政年間の建造の石造の燈籠と唐獅子、各々2基あり、 大正年間に建造の大鳥居は見事なものである。また参道の傍らにしる石の道標も和歌等が刻まれ、興味深い。

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