歴史・文化・伝説

  • 民話~佐右衛門島のはなし

    むかしむかし、永井に佐右衛門という爺さんが井手のお宮の真のほうに小さな家を建てて、腰のまがった婆さんといっしょに住んでいま した。ある夏のこと、いく日もいく日も雨が降り続きました。ある晩、大雨の中、表の戸をどんどんたたいて「じい起きよばあ起きよ」と大声 で呼ぽるので驚いて表へ出てみると、暗いのでその者の姿や顔はよくわからない。「こっちこい、早くこい」と言うので仕方なく引っばら れるようにしてついて行った。

    民話~佐右衛門島のはなしの詳細を見る

    民話~佐右衛門島のはなし

  • 民話~嘉十大工とピタゴラス

    大強原の嘉十郎は腕ききの堂宮大工として、近在に名の知られてい た棟梁でした。名人ということで、その門下には建築技術の奥義を会得するために若者が多くついていました。 親方の嘉十郎は、自分の弟子たちへ常に口癖に「ひとよひとよと、ひとむつまじく」と呪文を唱えるように言いきかせていました。 大工が家を建てる場合にサシガネを使って寸法を図りますが、この言葉はそのいちばん大事な基本をたとえていったものです。大エの使うサシガネは、L字型の直角定規と物指しを合わせたようなもので、表と裏に目盛りが刻まれています。

    民話~嘉十大工とピタゴラスの詳細を見る

    民話~嘉十大工とピタゴラス

  • 民話~司馬江漢の西遊日記

    7月20日。雨。湯の山へゆこうと思い、一人案内の者を連れて菰野を出発。2里の道のり、まず1里をすぎて1里四方の原(江野)に出る。この原、秋になれば萩、桔梗、女郎花が花盛りとなる。山は土ばかりでなく石の砕けたるものも混ざり、色は赤く白い。それより谷川があって、川中に大石がいくつも転がる。水は石に触れて飛び流れる恐ろしいところ。その石より向こうの石へ飛び越えることもあり、落ちれば深い。あたり皆山である。2、3丁行ってまた同じような谷川がある。3つほど川を渡ってほどなく湯治場に到着する。

    民話~司馬江漢の西遊日記の詳細を見る

    民話~司馬江漢の西遊日記

  • 民話~小島の十兵衛どんど

    小島の村は、家並が丘の上と下とにまたがってたち並んでいます。 丘の下を下のかいと、または元小島ともよび、上の高い所の方は、"空"とも新田かいとも、よんでいます。また丘の上の北の方、ひろびろと 開けた野の中に家が見えるのを沢かいと、言っています。ここに西沢、中沢、下沢、鶴沢と沢のつく地名が多いのも、そのあたりは、地下水 が湧き出してしけつきの所が多いからです。むかし小島が忍藩の領下であったとき、下の大矢知にその陣屋が置かれていました。

    民話~小島の十兵衛どんどの詳細を見る

    民話~小島の十兵衛どんど

  • 民話~嶽のぼり

    四郎右衛門老のお誘いに乗り、そのお供についてゆくことになった。 江野の野原を通りぬけ菰野富士の北側に出る。笹原をくぐり、鳥居道の谷の流れに沿い水落ち谷から左手に折れ、一の坂にたどりつく。 「さて、この鳥居道山のことじゃが、奥に嶽屋敷とよぶ寺跡がある。この奥に三嶽寺という古いお寺があって蔵王権現堂と不動堂があった。 菰野富士の北側に鳥居が立てられ、そこからが参道ときまっていた。鳥居道という名は、このためじゃ。参道の道しるべには丁仏があって、 その石仏を頼ってのぼれば山道も迷うこともなかったのじゃ。

    民話~嶽のぼりの詳細を見る

    民話~嶽のぼり

  • 民話~前野の狐

    永井のおさつばあさんはよく仕事をする元気もので、池底から嫁い できていました。毎年、里の池底のお祭りには、よばれてゆきました。ある年の祭りのこと、この日は雨の降る心配のない祭り日和りでした。 親元の池底でゆっくりと腹いっぱいよばれてそのうえ、つもる話に花が咲き気がついたら日の入り間近でした。あわててご馳走になったお 礼をいい、帰りは重箱に、あげずし、まきずし、おしずしやのっぺいをいっぱいつめてもらいました。

    民話~前野の狐の詳細を見る

    民話~前野の狐

  • 民話~あやめ塚

    あやめ塚は、吉沢集落、源正寺の南、黒田みちの道路のすぐ北側に あります。塚のそばには小川が流れ、周りには四季色とりどりの草花が咲きますが、今は草もみじの中にひっそりと小さな碑が立ち、石には「あや め塚」と刻まれています。このあやめ塚については、吉沢集落に、次のような面白い伝説が語りつがれています。昔、吉沢あやめは、妻を吉沢において単身京へ役者の修業に出た。

    民話~あやめ塚の詳細を見る

    民話~あやめ塚

  • 民話~萱場と萱刈り

    雲母山は昔から菰野三郷の萱山でした。毎年、秋が終わり12月3日 の山の神まつりがすぎると「萱山の口があいた」といい山へ入りました。この山の萱は、ススキのことをいうのであり、一部に笹萱も生えていました。萱刈りのころは12月の初め、いちばん日の短いときで、朝早く暗いうちに家を出て萱山へ向かい萱床場で-ぷく、ここで鎌を研ぎ、弁当包は床場の木にかけて置き、鎌とおいねに、竹の杖を持って瀬戸川に沿い萱場へのぼります。西菰野の刈場は水呑みの上の青木平で、山では1番に高いところです。

    民話~萱場と萱刈りの詳細を見る

    民話~萱場と萱刈り