歴史・文化・伝説

玉葛水

玉葛水

- 大字下村 -  玉葛水は玉かずら湯または道西坊ともよばれており、この「湯」とは池や井戸から湧き出る清水のことである。 この玉葛水には、日本武尊にまつわる伝説があって、命が東国の蝦夷を平定して帰る途中伊吹で賊を征伐した際に病気にかかり、伊勢国へ入られて病が重くなり、足が三重に曲り、御館の足洗石で御足をすすがれて更に道を西へのぼり、鵜川原のこの玉葛水で御目を洗われて、さらに南の鈴鹿に至り、遂に力つき野褒野で亡くなった。

この辺の村々は、応仁の乱によってすっかり荒廃した。その頃、千 種城主5代目の治庸は鵜川原にきて禅林寺を再興し、またこの村の由来と伝説を聞き、その荒廃を嘆き復興に努めたと伝えられている。 昔の人々は、命にあやかり、この玉葛水の清水で目を洗うと眼病が治るといわれ近隣の村々から井戸の水を汲みにくる人が絶えなかった と言うことである。また、この玉葛水は神水として三重神社(下村にあった神社)の神前に供えられていた。その後昭和10年に、下村の人たちの手によって、 井戸を美しい玉石で積み囲い、上には瓦葺の覆屋が建てられ、大切に聖地として守られてきた。ここには菅原、須賀、三重神社などかって 下村にあったお宮の碑石があり、文化元年(1804)と銘のある石灯寵も一基残されている。井戸の北側を通る道は、菰野から桑名への道筋であり、四日市から 千草への旧街道でもあった。井戸の内に安置する5体の青石板碑形の石地蔵は、この井戸の古い歴史を物語っているようでもある。