歴史・文化・伝説

江野縄文遺跡

江野縄文遺跡

- 大字千草 -  江野遺跡は、菰野富士のすそ野、鳥井戸川と三滝川にはさまれた扇状地にある。江野は昔、菰野方面より湯の山への遊山道が通じ、春は つつじ、秋は荻の花、すすきの穂が一面になびき、絵の様な美しさで絵野とも呼ばれていた。古くは広い野原において、草競馬や太鼓踊りが催され、ここにまた古社、江田神社があった。戦前は旧陸軍演習場、戦後開拓地となり、昭和47年鈴鹿スカイラインが開通し、保養地として開発されている。

この江野で昭和44年6月28日から7月3日にかけて、江野に住む2人の高校生によって、これまで日本全国で12個しかみつかっていない といわれる、縄文時代の早期の石器、矢柄研磨器が1釧司も発見された。
矢柄研磨器は長円形の石の表面に縦に一本ミゾを切り、この石を二つ重ねてにぎると、両方のミゾの部分が合わさって丸い穴となる。ここ へ矢の柄を入れてこすり、削ったり、みがいたりする道具である。この江野遺跡で発見された矢柄研磨器は、完全なものは長さ約10cm、 幅5cm、厚さ2.5cmの長円形の石英班岩、片方の面に幅1cm、深さ5mmのミゾがはいっている。また同時に発見された土器の破片は117個 あり、はかに石の刃物(スクレーバ)石オノなども含まれている。この高原一帯は平坦で日当りもよく、原始の狩猟採取時代の人間の 生活に必要な食物、飲料水も付近こおいて容易に得られる恰好の自然環境下に在り、重な生活圏であり住居地であったと考えられる。ここ で発見された矢柄研磨器は世界の各地、シベリヤ、蒙古、黒海沿岸、アメリカ、アラスカ等で断片的に発見されている。大陸から朝鮮半島 を経て日本に入ってきた原始時代の文化の流れを知る上において、尚、またわが国の縄文の早期の年代、草創期、早期、前期と各期の編年考証に重要な考古資料といえる。