歴史・文化・伝説

田光城跡

田光城跡

- 大字田光 -  田光城は田光集落の北西、鈴鹿山脈からのびた標高120mの丘陵上にあり、中世の砦跡である。南側を田光川が流れ、切り立った絶壁と なり、西側は空堀で支脈をたち切り、北側も急な斜面となっていて天然の要害の地である。東は多比鹿神社の神域と地続きになり、集落か らの木戸口となっている。

城の規模は、東西250m、南北80mの範囲にわたる。中心部に飲料 用の井戸があり、西よりに物見櫓の跡か方形の台地がある。頂上部は田光村の庄屋であった諸岡家の墓地となっている。田光は、巡見街道と八風街道の交叉する交通の要所であり、古くか ら峠を越えて、北伊勢と近江を結ぷ街道で伊勢湾の海産物、瀬戸、常滑の陶器をはじめ、生活物資の交流が盛んに行われた。特に近江の八 日市付近を根拠地とする近江商人は、伊勢の田光、梅戸、桑名、四日市に常駐して商いを行っていた。田光はこの様な経済、軍事上の重要 な地点にあった。田光城は、はじめ平安中期の頃田光隼則が築いたものと言う。後戦国時代になると、近江の豪族、佐々木高頼の四男高実が、伊勢へ勢力 をのばし、田光城を再興し、併せて梅戸城を築き、この地方を支配した。戦国動乱の世は、北勢の諸豪土と共に興亡をくり返し、遂に永禄 11年(1568)信長の北伊勢進攻に敗れ落城した。佐々木高実の墓は、梅戸城跡の光蓮寺に在る。