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三岳寺廃寺跡 国見岳山麓

三岳寺廃寺跡 国見岳山麓

- 国見岳山麓 -  北谷の山小屋から北へ500m行き谷川を渡った南向きの谷のより 合ったところに廃寺跡がある。一番西に僧坊らしき基壇右横が少し残 り、つづいて東西に3段位になってやや平坦である。東の端は鐘楼へ 登る石段とおもえる、手を加えられた石が崩れてのこっている。この尾先きに鐘楼があったと云われている。寺跡の中央部に手洗石が壱個ある。

片方が欠けているが、これが唯一の寺の名残りをとどめるものである。廟所(墓地)は谷の南側にあってヒナ段伏に区画の跡が見え、五輪の石塔が数基のこっている。この寺は、比叡山の伝教大師が大同2年(807)に開かれたと伝わっているが確かなことは判らない。天台が盛んな頃は、僧坊に僧兵が 集まって北伊勢の天台系の寺をその支配下においたと言われている。千種の音羽は三岳寺の寺領であって今も村の地名に鐘突田、油田、岳 道の名が残っている。また音羽の虚空蔵寺の本尊は秘仏であり、元三岳寺にあったものだと言われている。参道は菰野富士北側の、鳥居口 より入るのが往昔の参道であって、江野から丁仏があったが、今は失なわれ2、3、石仏が参道の道端にのこっている。永禄11年頃(1568) 信長の兵火により灰ジンとなり滅亡した。その後江戸時代に入って、国見岳より江野にかけての、千草村外と菰野村とに村境の山論が生じ、また三岳寺の寺号山号の帰属をめぐっての争いがあった。
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